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シリーズ 日本のCorporate Governanceを考える(4)―ガバナンスモデルの多様性
今日は、グローバルな資本市場の中で日本企業が外国資本を受け入れ、製品市場においても過酷な競争を強いられるという環境にあって、日本独自のガバナンスモデルというものが確保できるかという問題について触れてみることにします。

ここでの問題はグローバルな競争その他の原因によりガバナンスモデルは一つの理想的モデルに集結(Convergence)していくのかどうかという問題です。この問題は比較法の分野では論争の対象とされているようで、例えばHenry Hansmann & Reinier Kraakman, The End of History for Corporate Law, 89 Geo. L.J. 439 (2001)は、コーポレートガバナンスモデルは日米欧という主要国家において米国型の株主中心主義という方向に集結すると主張するのに対し、Lucian Bebchuk & Mark Roe, A Theory of Path Dependency in Corporate Ownership and Governance, 52 Stan. L. Rev. 127 (1999) は、ガバナンスは既存のルールと会社所有形態という「経路」に依存(path dependence)するのであって、均一化するようなものではないと主張しています。

国家間のガバナンス比較という単純化された世界での比較である(この説明文も多分に単純化しすぎであるので、ご興味のある方は是非原文を読んでください。)ため、いずれが正しいというものではないし、程度の差異という問題ではあると思います。実証的事例を確認したわけではありませんが、1980年代の日本と比較して、現在の日本企業はより株主価値、資本市場を意識しているといえると思います。何をもって株主価値を意識しているというのかはそんなに単純ではありませんが、ひょっとしたら配当性向などをみていくのがいいのかもしれません。ここでは社会常識の変化という抽象的なレベルでの話として、厳密なレベルでの検証はしませんが、感覚的に米国型の株主中心主義がより重要性を増してきたという主張は説得力があるように思います。

ただ、「株主中心主義」というのが何を意味するのか、具体的手段はどうなのかは一義的に決まるようなものではありません。米国型が株主中心主義といいながらも、日本法よりも取締役会の裁量を広く認めているように思われるのは不思議な話です。日本法になじんだものからすると、米国型はある意味パターナリスティックともいえるような感じがします。取締役会をインセンティブの付与により株主と同一の方向を向かせる代わりに、広範な裁量を認め、株主の自己決定権を否定している部分も日本法よりは多いのではないでしょうか。

経路依存性という概念は非常に重要で、他国の法制度を参考にするにしても、関連する法・経済・社会制度のすべてを取り替えるわけにはいきません。このあたりは事実上デラウェア州における敵対的買収ルールを取り込もうとした最近の動きを見ていればわかるだろうと思います。ユノカルやレブロンを導入しようとしてもディスカバリは導入できないわけであり、ある法制度・概念の導入をしようとしても実質的に同じ機能を果たすことの方が稀であるといえるでしょう。また、株主中心主義といっても短期的な株価のみを視野に入れるものではなく、また従業員・取引先・債権者等の利害関係人の利益が否定されるものではありません。ガバナンスモデルの運用面においても関係者の利害関係をどのように調整して必要があり、その具体的運用は社会・文化的な背景によっても異なってくるでしょう。例えば、日本の労働者は黙ってサービス残業するかわりに、解雇されることを黙って受け入れない(単なるたとえですので、正しいかどうかは別として)とか、法を運用・解釈する人間の文化によりプラクティスがかわるのは当然でしょう。その意味で、けんけん先生が以前指摘されたように、日本の買収防衛法制は今後独自進化を遂げるのは必然と思っています(問題はその是非です)。

この論争に終止符をうつのは案外アメリカ法自身なのかもしれません。Convergence論者の主張によれば、日米欧よりも障壁の低い州間障壁にもかかわらず、各州の会社法がさほど統一化されないことの説明が困難なように思われます。私は必ずしも賛成しませんが、米国法では各州における会社法の競争が繰り広げられ、デラウェアが競争の勝利者として君臨しているという考え方が存在します。Race to the topとかRace to the bottomとか言われるものです。この考え方だと設立準拠法を選択する取締役ないし企業側にとって有利な法制度が選択されるはずですが、様々な人に聞いたところ、必ずしもデラウェア法が取締役に有利だとか、会社にとって税制が有利だということもないようです。敵対的買収防衛などの面ではペンシルバニア州法だとユノカルなどの厳格な審査基準が存在せず、ビジネスジャッジメントルールが確保されているので経営陣にとっては有利なはずですが、ペンシルバニア州を設立準拠法とする企業はさほど多くありません。

様々な人に聞いたところ、会社法の分野において陪審ではなく、優秀な裁判官が判断することがメリットだとか、一度デラウェア州法がスタンダードとして君臨し、多くの法律家が周知していること自体がメリットなのだとか言われますが、実際のところはよくわかりません。個人的にはデラウェア州法が一時的にでもDe Facto Standardとして機能した時点で勝負は決しており、共通ルールとしてのデラウェア州法を選択するメリットを否定するだけの特殊な優位性を持つ州法がなければ州間の会社法の競争というのはあまり現実的ではないのではないかと思います。その意味で、デラウェア州法が優位にたったという「経路」に依存してアメリカ会社法は発展していくのだろうと思いますし、会社法の多様性は州政府がなくなりでもしない限り、このまま残るだろうと思っています。

ということで、日本法は日本なりのスタンスで進化していくだろうという荒っぽい理屈を述べておきました。
by neon98 | 2006-01-31 14:10 | Corporate Governance
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