カテゴリ:Corporate Governance( 18 )

Backdating Stock Options?
また新たなコーポレートスキャンダルの報道です。
Backdating: First the News Stories, Then the Gov’t Probes, Now . . . the Shareholders’ Suits!(WSJ.com)

幾つかの企業でStock Optionの付与日が不自然にも株価の急上昇の直前とされており、ストックオプションの付与がBackdateされているのではないかというものです。司法省が調査に入り、既に株主から訴訟が提起されているようです。上記のBlog記事で引用されている有料記事は読んでいないので詳しい仕組みはわからないですが、市場を通さずに自社株を割り当てる方式であれば記録に残らずにBackdateすることも可能なのかもしれません。次から次へと色んな疑惑が出てくるものですね。続報を待ちたいと思いますがとりあえずクリップ。
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by neon98 | 2006-06-15 05:51 | Corporate Governance

エンロン経営陣の結末
アメリカのみならず、世界中にも多大な影響を与えたエンロン事件ですが、陪審がKenneth L. LayとJeffrey K. Skillingに対する有罪の判断(但し、一部のインサイダー取引については無罪)をくだしたようです(Enron Chiefs Guilty of Fraud and Conspiracy (NYTimes))。NY Timesによれば、刑期などを含む判決自体は数ヶ月後になる見込みとのことです。

Worldコムの事件などとあわせて大騒ぎとなり、Internal Controlの重視, PCAOBの創設、弁護士による"Up-the-ladder"報告義務、オフバランス取引の開示、会計基準に合致しない会計慣行に関する開示制限、MD&A開示、刑罰強化、オプション会計・・・・、ありとあらゆる部門で影響を与えてきたこの事件、結末としてはどうなるのでしょうか。
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by neon98 | 2006-05-26 02:50 | Corporate Governance

シリーズ 日本のCorporate Governanceを考える(11)-社外取締役論(1)
日本では社外取締役の数が絶対的に少なく、アメリカにおける独立取締役ほどの独立性を有していないという説明をよく聞きます。でもそれだけの説明だと…So What?という世界ですので、取締役会の構成について少し考えてみましょう。

取締役は、監査役や会計監査人と求められる役割が異なるわけですから、独立性とは別個に経営者的能力というものも求められる世界です。会計監査人が社内の人間という制度設計はナンセンスですが、取締役については社内の人間の方が優れている面も多いように思います。社外取締役を採用、あるいは社外取締役が過半数を占めている企業のパフォーマンスが優れているとの実証研究はないともよく聞きます。たぶんそうなんでしょうし、仮に統計数値をとって有意の差があったとしてもモデル論というものがないと因果関係というものをうまく説明できません。

ただ、これらの議論は社外取締役が制度として優れているという証拠がないというだけのことであって、例えば経営陣との利益相反がある場合に外部の人間がふさわしいということまではいえると思います。取締役会の構成においてどの程度外部の人間が必要かという議論は、取締役として求められている役割(アドバイザーなのか、監視役なのか)、判断を求められる局面(投資判断なのか、敵対的買収防衛の判断なのか)により相当変わるだろうと思います。社外取締役と内部取締役とのいずれがふさわしいとは一概にいえないという命題を基本にすえて考えていきたいと思います。

ちなみに私は社外取締役だから会社と利害関係がないとか、保身に走らないという主張は理解できません。社外取締役とはいえ、会社から報酬をもらっているわけですし、普通経営陣と何かの縁があって採用されているわけですし、敵対的買収者がきて首をすげかえられるとすれば保身を考えても不思議ではないと思います。30年継続して勤務してきた会社に取締役として入る場合との差異は、思い入れの違い、転職の容易さの違いという相対的なものにすぎないでしょう(転職の容易さというのはかなり重要な要素ではありますが。)。アメリカの独立取締役が買収防衛の時点でうまく機能しているとすれば、その理由は取締役が独立しているからというよりもむしろ株式報酬により良い買収条件を引き出すとフロリダに素晴らしい別荘が買えるからであり、社外取締役となっている階層にとって転職活動はさほど困らないからではないかという気もします。既に10億円持っている人が株式を高く売却するインセンティブを持ちながら奥様とヨットと別荘を買う相談をしている状況と、自宅にいると奥さんに邪魔者扱いされ、子供がロースクールに行きたいなどと言い出してまだまだ会社に勤務しつづけなければならない状況とでは、判断が当然変わるんでしょうね。

単なる駆け出しの一弁護士が私見を述べてみてもしょうがないので、次回以降は、題材を三輪・神田・柳川『会社法の経済学』(東京大学出版会)と小佐野広『コーポレートガバナンスと人的資本』に求めて考えていくことにします。

このシリーズ、他の話題を交えながらダラダラいきますので、ごゆっくりお待ちください。
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by neon98 | 2006-03-04 07:46 | Corporate Governance

シリーズ 日本のCorporate Governanceを考える(10)-株主中心主義と倒産状態(下)
そろそろ出題者がほとんど忘れかけていたシリーズ 日本のCorporate Governanceを考える(8)-株主中心主義と倒産状態(上)を放置したままという現実に目を向けねばなりません。わかりやすい出題意図は株主中心主義なるものが倒産状態に陥ったときにどうなるのか、日米を比較してみようというものでした。以下の記載は、倒産関係法の本を一切持参しておらず、条文程度しか確認していませんので、多分に誤りがある可能性があります。

1. 取締役は誰に対して義務を負っているのか

新会社法では「株式会社と役員…の関係は、委任に関する規定に従う」(330条)としており、受任者が善管注意義務を負う名宛人は委任者である会社と考えるのが素直でしょう。忠実義務に関する355条は明確に株式会社を名宛人としている点からもそういえます。

一歩進んで他のステークホルダーとの関係について考えると、例えば江頭先生は「「会社の利益」とは、窮極的には株主(社員)の経済的利益であり、それを最大にすべき義務である」とされており(江頭株式会社法第二版330頁)、株主利益最大化という目的のために義務が存在することは明記しておられます。

余談ですがここから先、株主利益最大化をどこまで貫くかはかなり学説間の差異が生じるところです。寄付行為に関する八幡製鉄所事件を例にとると、社会的に相当である限り株主の利益に寄与しない寄付を取締役はなしうると考える人(江頭先生)と長期的に株主の利益になる限りにおいて寄付をなしうると考える人(鈴木竹雄先生)がおられるようです。

2. 倒産状態の場合

江頭先生は「株式会社・有限会社が債務超過またはそれに近い状態である場合には、取締役がイチかバチかの投機的経営を行うことは、残余請求権者でありかつ有限責任である株主(社員)の利益を最大化する方策ではあるが、会社債権者の損害を拡大する蓋然性が高いので、取締役の任務懈怠となり第三者(会社債権者)に対する責任を生じさせる。」と明記しておられ(江頭同16頁)、注意義務の変遷を認める立場をとっておられます。この説が日本の学界でどの様な地位を占めるのか、江頭先生の本(しかも第二版)以外に基本書を持参していない私には全くわかりません。

また、江頭先生の見解にたったとしても、株主に対する注意義務を否定することは別の問題のように思います。投機的経営を行わないという行為を選択する局面では、取締役が株主の利益を最大化するために行動していないといえるのでしょうが、株主の議決権行使まで否定することはできないと思うのです。仮に注意義務の名宛人が変容するといったとしてもそれはギャンブルをするなという局面だけの話であり、株主を無視してよいとまではいえないでしょう。

債務超過に近い状態においても義務が変遷するとすればどの時点からなのか、債務超過の評価はどうするのか、著しく困難な判断が要求されることも事実であり、それがゆえに法は減資の条件として債務超過であることと、裁判所の許可があることというハードルをもうけて株主を保護しているのだと思います。

私なりの回答としては、DIP型民事再生手続きのもとでも取締役は従来通り株主に対して善管注意義務・忠実義務を負うが、投機的経営を行わないという意味においてその内容は変遷しているということにしておきたいと思います。仮に債務超過であったとしても、裁判所の許可を得て減資がなされるまでは答えは同様でしょう。

3. 取締役が解任されたら?

ヤバイゾはセイジツをスポンサーとして選定したのはセイジツが100%一括弁済という条件を提示し、コワイゾよりも弁済率・弁済時期・弁済の確実性において明らかに有利と思われたからでした。一応債務超過ではないとはいえ、ヤバイゾの株式は既に上場廃止になっており、値段がつかないことをいいことにし、コワイゾが株式を買い集めてきたときはどうすればいいでしょうか。株主に歯向かい、債権者利益を保護することが許されるのか、許されるとしてその手段はあるのかという問題です。

ギリギリまで詰めると答えはよくわかりません。例えば私的整理を要求する場合は株式を残したまま債務免除を要求したりしますが、それが取締役の義務に反するとは到底思えないのです。株主利益最大化のためにより多くの債務免除を求めることはまさに取締役の職務といえなくもないわけで、それを批判されることはないような気がします。単純にやりすぎると債権者からの賛成が得られなくなるし、監督委員からの同意がもらえないよというだけの話で、取締役の義務が変わるとまでいう必要があるのか、実はよくわかりません。

少なくとも法的整理に入った後は違う行動原理だろうといわれるとそんな気もしますが、法的整理であっても理屈のうえでは株主に対する分配も想定されていて、債権者だけを向いて行動しなさいということはいえないように思うのです。まあ、幸いというか、日本の倒産事案は弁済率が著しく低く、株主への分配なんてありえないものばかりなので、債権者のことだけ考えろという規範もそんなにおかしくはないんですが。

まあ理屈はともかく、結論からすると、一度公平な手続きで決めたスポンサーですから、それを株式の買占めという行為で結果を覆させるわけにはいかないでしょう。コワイゾからの議決権行使を制止するために理屈を捏ねまわすことはできますが、私ならDIP型で継続することに限界があるとして、管財人を選任してもらっておしまいにするでしょうね。
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by neon98 | 2006-02-25 04:57 | Corporate Governance

シリーズ 日本のCorporate Governanceを考える(9)-株主中心主義と倒産状態(中)
以前47thさんが以下のようなコメントをくださいました。
アメリカの株主優先主義の面白いところは、ドグマではなく、効率的な経営陣規律のための一つの手段だと割り切られているところがあるため、…株主がギャンブルに走る場合には、取締役は株主よりも債権者利益を優先すべきといった考えも出てくるところですね。
書こうと思っていた話だったので、あまり立ち入ったコメント返しを避けていた部分を今日書いていきます。デラウェア州の裁判例で「株主よりも債権者利益を優先」とまでは言っていませんが、Credit Lyonnais Bank Nederland, N.V. v. Pathe Communications Corp., 1991 WL 277613 (Del. Ch. 1991)は、少なくとも会社が債務超過に近い状態(the vicinity of insolvency)にあるときは取締役会は単なる劣後者のエージェントではなく、企業(corporate enterprise)に対してその義務を負う、と判示しています。なんて偉そうに書いてますが、本エントリ中の引用は全てBainbridge, Stephen M., "Much Ado about Little? Directors' Fiduciary Duties in the Vicinity of Insolvency", Journal of Business and Technology Law, Forthcoming からの孫引きで原典にはあたってませんので、ご注意を。

債務超過の可能性がインセンティブに与える影響の結果、株主がギャンブルに走り、取締役らの行為規範がおかしくなること一例として以下のような場面が紹介されています。企業Aは唯一の資産として、企業Bに対する債権を有しており、第一審の判決の結果企業Bに対する$51Mの勝訴判決が得られました。この判決は現在控訴審に継続しており、見直しまたは覆される可能性もあります。控訴棄却(現状維持)・破棄自判(修正)・原審破棄の場合(敗訴)におけるそれぞれの確率・結果は以下のとおりです。
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この場合判決の期待値は$15.55Mであり、会社にとって期待値を上回る$17.5Mの和解提案を受けることは合理的です。ただ、仮に負債が$18M存在した場合に、取締役が株主の利益のみを考慮して行動するとしたらどうでしょう。株主としては$18M以下の和解提案を受け入れるメリットは存在せず、$51Mの価値のある控訴棄却判決を求めるという「ギャンブル」に走ることになります。通常の場面では、株主への配分は債権者に劣後しますから企業全体にとって合理的な意思決定が維持されれば債権者が害されることはありませんが、この場面では企業全体にとって合理的である意思決定が株主単体にとっては合理性を有しないというわけです。Credit Lyonnais判決は、株主が債権者の利益を犠牲にして「ギャンブル」をするインセンティブを防止するために、Fiduciary Dutiesの宛先を企業そのものに移転するという手法を採用しています。

これに対してBainbridgeは現実にはそのような懸念はほとんどない(タイトルをMuch Ado about Nothing=空騒ぎよりも正確にはMuch Ado about Littleであるとしたのも、懸念がゼロではないが無視できるという趣旨です。)と反論します。その根拠としては(1)債権者は事前に契約交渉を行うことにより、機会主義的行動を防止することができる、(2)リスクに見合った利息を要求し、望ましいポートフォリオを形成することにより、全体としては問題にならない、(3)公開企業においては所有と経営が高度に分離しており、経営陣が株主のみのメリットを重視するおそれは少ない、(4)非公開会社に対しては通常債権者の交渉力が強いから事前の契約交渉で十分保護を受けられるはずであるといったあたりです。それよりも(1)”In the vicinity of insolvency”の範囲が不明確なために法的安定性を害する、(2)企業の利益を重視というのは株主と債権者とのいずれかの利益を選択しないといけない場面においては何の行為規範性も示していないという問題を指摘し、株主中心主義が貫徹されるべきであると主張しています。

BainbridgeはCredit Lyonnais判決の考え方は必ずしも通説ではないし、デラウェア最高裁はこの問題についてまだ何の判断もしていないといいますが、Credit Lyonnais判決は否定されているわけでもありませんので、少なくとも実務的には無視しえない存在と受け止められているようです。

なお、Zipora Cohen, Directors’ Negligence Liability to Creditors: A Comparative and Critical View, 26 J. Corp. L. 351, 377-379 (2001)という文献は、会社がInsolventな場合に適用される信託財産理論と、Credit Lyonnais判決とを区別しており、前者はInsolvency状態の場合において取締役が債権者利益のみを考慮することが許されるとしているのに対して、後者は会社の利益全体を考慮すべきであるとしています。もはや株主利益を考慮すべきではないという状況が存在すること自体はたしかなところで、私的整理のケースとDIP型法的整理のケースとを区別する、あるいは債務超過である場合とそうでない場合とを区別するような考え方なのかもしれません。今日はこんなところで。
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by neon98 | 2006-02-10 08:16 | Corporate Governance

シリーズ 日本のCorporate Governanceを考える(8)-株主中心主義と倒産状態(上)
Corporate Governanceに関しての私の立ち位置としては、株主中心主義を基礎におくということを既に申し上げました。今回は倒産状態における規律をどう考えるかということで、まず設例から入りたいと思います。
東証一部上場企業であるヤバイゾ株式会社は取引先の倒産の影響で手形の不渡りを出し、再生手続開始の申立てを行いました。ドコカノ地方裁判所より同日再生手続の開始決定がなされ、いわゆるDIP型の手続きとしてスポンサー候補者の選定も終了し、監督委員の同意を得てセイジツ株式会社がスポンサーとして選定されることになりました。ところが、スポンサー選定手続きに敗退したコワイゾ株式会社がヤバイゾ株式会社の株式を水面下で買い集め、定時株主総会の基準日までに議決権の過半数を握っていたことが判明しました。コワイゾ株式会社は数日後の定時株主総会において株主提案権を行使し、役員選任議案としてコワイゾ株式会社の役職員をヤバイゾ株式会社の役員として選任することを提案してきています。

ヤバイゾ株式会社の取締役会としては公平にスポンサー選定を進め、債権者の利益極大化のためにはセイジツ株式会社がスポンサーとして望ましいと結論を出しています。民事再生法166条に定める資本減少の定めにより100%減資をすることも検討しましたが、残念ながら公認会計士の判断としてはヤバイゾ株式会社は債務超過に陥っておらず、資本減少の許可が得られる見込みはありません。また、定時株主総会は数日後に迫っているので、それまでに再生計画案を提出できる見込みもありません。コワイゾ株式会社の株主提案が通ることは明確であり、その場合はヤバイゾ株式会社の取締役会はコワイゾ株式会社の支配化におかれることになります。そうなると、セイジツ株式会社による第三者割当増資引受が履行されることはないでしょう。

あなたはヤバイゾ株式会社の代理人として対策会議に出席し、以下の点について意見を求められています。

1. 取締役は民事再生手続きのもとでは誰に対して善管注意義務を負っているのか。
2. セイジツ株式会社による第三者割当増資を進めるにあたって具体的に選択する手段は何か。
3. 仮にヤバイゾ株式会社が債務超過である場合(但し、定時株主総会前に資本減少の許可を受けて100%減資するという選択はスケジュール上間に合わない)、上記の結論は変わるか。

〔回答は原則としてトラックバック形式によること。コメント欄は文字数の制限があるので簡潔に答えること。問題に不備がある場合は適切な仮定をおいて回答されたい。〕

実際にありうるかといえばコワイゾ株式会社みたいな「勇気」ある行動をとる会社はないでしょうが、真面目に検討する必要がある局面におかれたことはないではありません。コワイゾ株式会社のウッシッシ社長の嫌な顔を思い浮かべながら考えてください^^。

次回は米国法の話で、回答は次々回かな?と思ってます。今日はこんなところで。
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by neon98 | 2006-02-09 08:05 | Corporate Governance

シリーズ 日本のCorporate Governanceを考える(7)―メインバンクシステム(下)
労働市場における終身雇用制度の不存在という主張に対して思うところを前回述べました。日米における労働の質の違い(企業特有のスキルを要求するか否か)という点は私は実はよくわからないのでコメントを避けましたが、メインバンクが労働者による懈怠を監視していたというAokiの主張にも賛成しませんので、私の感想は「黙示の終身雇用制度は存在していたが、メインバンク制度とは直接に関係しない」とまとめるにとどめておきます。今日は政府・「系列」・資本市場という問題に入りましょう。

まとまりのない話の続きを読む・・・
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by neon98 | 2006-02-07 07:14 | Corporate Governance

シリーズ 日本のCorporate Governanceを考える(6)―メインバンクシステム(中)
(コメントありがとうございます。議論を最後まで続けていくことでコメントへの回答に代えたいと思います。)

1. いきなり結論

前回に引き続き、メインバンクシステムを考えていこうと思います。結論からいうと、メインバンクシステムなるものは存在しなかったという主張は経済学的に見えるもののみを優先し、または国際的に説明しやすい概念のみをとらえるという間違いをおかしているのではないかと考えています。ごく控えめにいうと、Miwaの主張は言いすぎだし、多くの企業関係者が主観的に規範だと感じて行動していたものを無視していると思います。Discussion Paperで17ページの内容なので具体的な統計数値や分析はほとんど登場しませんので、これらを他の文献で探した方が公平な判断は可能だと思いますが、今回は経済学とは異なる抽象的な観点から反論を試みたいと思います。

「主観的に規範だと感じて行動していたもの」とはレピュテーションリスクであり、金融行政への畏怖であり、Peer Pressureでもあります。こういったものは主観的な規範とでもいうべきものですので、実証的に検証できるものでもなければ、国際的に説明しやすいものでもありませんが、日本人の(控えめにいって当時の日本人の)行動原理を説明するのに欠かせないものではないかと考えているところです。今回のエントリは抽象的なかたちでしか説明できませんので、共感できる方には説得的だし、共感できない方にはアホなエントリになると思いますが、その点はご了承ください(話はそれますが、法と規範と文化みたいなわかりやすいような、わかりにくいような話を書いた本を是非読みたいと思っています。どなたか推薦書があればお願いします。)。

私の結論としては、メインバンクシステムが非効率なガバナンスシステムだった、あるいは当時はうまくいったが現在では応用できないという議論は理解できなくはないのですが、メインバンクシステムが存在しなかったという議論は直感的に受け入れがたいものがあります。Nylawyerさんは賛成票を投じてくれると思いますが、わかりやすい経済的概念で説明できるかどうかはともかくとして、少なくとも銀行員のマインドの中にはメインバンクシステムなるものはたしかに存在していたと私は(根拠もなく)確信しているところです。

さて、本論に入りましょう。MiwaはMasahiko Aokiにより提示されたメインバンクシステムなるものに異論を唱えることからスタートします。まず、Aokiにより提示されたメインバンクシステムは以下のようなものです(以下はいずれもMiwaによればということでご了解ください。)。
(1)最も有能な労働者に雇用企業特有のスキルを獲得してもらう誘引として企業は終身雇用制度を提示した。
(2)株式持合いのネットワークを通じて、日本企業は敵対的買収と資本市場の脅威を無視することができた。もし企業が破綻に陥るときは、日本企業はメインバンクに対して責任を負う。
(3)メインバンクは系列からもっとも重要な企業を選別し、そのクライアントを注意深く監視し、他の銀行の代わりにそれらの企業を監視し、問題発生時にはそれらの企業の支配権を獲得した。
2. 労働市場―終身雇用契約は存在した?

Aokiは、日本において、経営陣は労働者が企業特有のスキルに多く投資しなければならないような方法で企業を構築するのに対し、米国の労働者はより一般的な(他企業に転用可能な)スキルに投資をするとします(この日米比較はゲーム理論で説明されているようなのですが、米国の労働者の選択を正当化するゲーム理論が紹介されていないので比較論としての意味はわかりません。)。従って、企業側としては労働者の企業特有の投資(「関係特殊的投資」)をさせるインセンティブとして終身雇用を約束したということになります。また、メインバンクは関係特殊的投資を保護するために企業が危機に陥ったときには救済し、メインバンク自らが労働者を監視する役目を果たしたといいます。

これに対し、Miwaは労働者に関係特殊的投資をさせるためにはなぜ明示的な終身雇用契約を締結しないのかと疑念を持ちます。そして、企業は労働者に対して終身雇用など約束しておらず、終身雇用契約は裁判所による解雇制限法理によりもたらされたものだと主張します。彼によれば、戦前は日本の雇用は流動的であったものの、戦後は著しい経済成長のために解雇が表面にでることは少なく、1970年代のオイルショック後に解雇しようとした企業はしばしば裁判所の解雇制限法理によりその選択を阻まれたとするのが原因だということです。

労働法を多少かじったことのあるロイヤーからすると、事実はその中間のように思われます。裁判所の解雇制限法理により企業側が整理解雇に躊躇をおぼえるのは事実でしょう。長い好況により解雇をしなくてもなんとか企業がやっていけたということもあるでしょう。でも、当事者の認識レベルでは、終身雇用契約は黙示的に存在していたのだと思います。(ちなみに、労働法の解雇制限法理が景気により左右されていることは近年の不況時をみれば明らかで最近の裁判所の労働判決の傾向は明らかに変わっています。裁判所労働部の裁判官も整理解雇4要件というものの実質的に重要なのは解雇の必要性のみであるとどこかで発言しておられました。)

明示的な終身雇用をすることは企業にとってコストを伴います。懲戒解雇以外の解雇を一生しないという約束をすればモラルハザードの問題が発生するにきまっているわけですからそれは不可能でしょうし、懲戒以外の解雇事由をあらかじめ契約に盛り込んでおくというのも著しく困難だと思います(不完備契約の理論)。結局は労働組合の反発によるリスク、新規雇用の際に生じるであろうレピュテーションリスクを考え、企業側は黙示的に解雇を控え、労働者側は黙示的に解雇が制限されることを理解して関係特殊的投資を行っていったというのが実態に近いのではないでしょうか。好況が長続きしたこととあいまって、日本人の曖昧な法意識がうまく機能した事例といってもよいような気がしています。私としては、「よほどのことがない限り、終身雇用する」という曖昧な契約が存在した(少なくとも当事者は主観的にそう感じていた)のではないかと思うところです。

ちなみに客観的データとしては、(産業間で長短の差異はあるものの)国際的に日本企業における労働者の長期雇用の実態はMiwaの論文でも確認されています。日本人のリスク回避的な傾向は多くの日本人が感じているところなので、そうした観点からも説明が可能なように思います。

ただ、Aokiによれば、日本企業での労働の実態はグループワークが多く、個々の労働者のパフォーマンスが把握されにくい、それを補完するのがメインバンクによる監視効果だったとするのですが、労働者のパフォーマンスまでメインバンクが把握していたとは私には思えません。せいぜい、メインバンクがするのは(多くの場合)一部役員や経理部長を派遣する程度のことで、天下りに近い実態があったと思いますので、監視効果を持つというほどのことはないでしょう。

むしろ、パフォーマンスが把握しにくいとしてもそれは程度問題であって労働量などによって一定程度可能である、Peer Pressureにより労働者相互間の監視効果が働いていた、完全に明示的な終身雇用ではないうえ「窓際族」「出世コースからの脱落」などを回避するインセンティブは働いていた、皆で豊かになるという共通インセンティブが社会で共有されていた、勤勉な民族だったなどと検証しようのない仮説をたてる程度で、とどめておきたいような気がします。会社人間だった父が残業代ももらわずに自宅をでていく姿をみていると、労働は美徳であるという感覚って(少なくとも高度経済成長期の労働者にとっては)案外どの経済モデルよりも真実に近いような気がするのですが、どうなのでしょう?終身雇用制度のもとでも(1)中途採用マーケットが乏しい、(2)一度受けた評価を一生背負うリスクがあるわけですし、パフォーマンスを評価することの難しさというのはどこにでもあるわけですし、解雇に劣らない恐ろしい「罰」がある可能性もあるわけですから(笑)解雇の危険性が少ないから労働のインセンティブがないというのは少し短絡的かなと思います。

検証しようもないことをどの文献の裏づけも得ないで書いてしまうのは悪い癖なんですが、検証しようもないことを捨ててしまうよりは真実に近い場面もあるのではないかなどと勝手に思っているところです。なんだか長くなってきたので、急遽(中)を作成し、(下)に続くということで…。
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by neon98 | 2006-02-02 01:49 | Corporate Governance

シリーズ 日本のCorporate Governanceを考える(5)―メインバンクシステム(上)
「メインバンクは擬似エクイティホルダーである」という命題について今日は考えてみましょう。都市銀行に勤めている友人や、プライベートエクイティに従事している友人らとよく話をするのですが、彼らの中でもメインバンクシステムというものは擬似エクイティホルダーだったという認識が共通しているように思います。特徴としてあげられるのは以下のような要素でしょうか。
・融資契約上は一年後を返済期限とする短期資金であっても、あらゆる当事者が原則としてロールオーバーがなされることを前提として行動していた。
・有力メインバンクが財務諸表や事業内容を確認したうえで融資の実行を決定し、営業・審査能力で劣る下位行は有力メインバンクとの取引が存在することを一種の信用担保として、担保余力がある限り融資に応じていた。
・メインバンクは融資先企業の一部株式を保有し、場合によっては相互に株式を持ち合い、安定株主として作用することにより、企業は長期的な観点からの意思決定が可能となった。
・メインバンクは定期的な財務状況の確認以外に、場合により役員を派遣し、金融債権者を代表して監視者としての役割を果たしていた。
・企業破綻の際には、メインバンクはその責任を問われ、特に私的整理の局面ではメインバンク寄せという現象がみられた。
いずれも実証データにあたったわけではありませんが、以上は議論を受けての私の評価です。このようにメインバンクは、長期資金を提供し、債権者としての立場を超えて融資先企業を監視し、擬似エクイティホルダーといえるような立場であったにも関わらず、その経済的メリットとしては低リターンの融資者にすぎなかったというのは非常に面白い現象だと思います。バブル経済の崩壊以降、メインバンクとしての責任を問われることをおそれた主要銀行は役員を引き上げ、自らの財務信頼性の確保のため持合株式を売却し、融資回収・債権売却・倒産手続の選択等によりメインバンク制度は瓦解しつつあります。日本独自と思われるこのような制度をみていくことは意味のあるものではないかと思い、一法律家の偏見のみでブログを書いてみてもしょうがありませんので、有益と思われる文献をWEB上で探してみることにしました。ということで、見つけたのがこれです。

Miwa, Yoshiro and Ramseyer, J. Mark, "The Myth of the Main Bank: Japan and Comparative Corporate Governance" (September 2001). Harvard Law and Economics Discussion Paper No. 333.

その主張はズバリ「メインバンクシステムなんぞ存在しない幻想にすぎない」とまでおっしゃってます。私の幻想を打ち破ってくれるものなのかどうなのか、実はまだイントロまでしか読んでなかったりします。結論部分から引用しときましょう。
The claims about the Japanese main bank system are not overstated. They are false. They are not claims for which we have only ambiguous evidence. They are claims for which we have none. Firms and workers did not bargain for lifetime employment. Banks neither promised to rescue defaulting debtors nor monitored debtors on behalf of their rivals. The keiretsu had not substance, and the government had little clout.
The truth about Japan is more logical, more mundane, more boring…
とっても刺激的な主張で、ここまで言われちゃうと逆にすがすがしい気持ちになってしまいます^^。気になる中身はまだ読んでないので、どういう方向で進んでいくかはまた次回ということで、(下)に続く…。
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by neon98 | 2006-02-01 07:08 | Corporate Governance

シリーズ 日本のCorporate Governanceを考える(4)―ガバナンスモデルの多様性
今日は、グローバルな資本市場の中で日本企業が外国資本を受け入れ、製品市場においても過酷な競争を強いられるという環境にあって、日本独自のガバナンスモデルというものが確保できるかという問題について触れてみることにします。

ここでの問題はグローバルな競争その他の原因によりガバナンスモデルは一つの理想的モデルに集結(Convergence)していくのかどうかという問題です。この問題は比較法の分野では論争の対象とされているようで、例えばHenry Hansmann & Reinier Kraakman, The End of History for Corporate Law, 89 Geo. L.J. 439 (2001)は、コーポレートガバナンスモデルは日米欧という主要国家において米国型の株主中心主義という方向に集結すると主張するのに対し、Lucian Bebchuk & Mark Roe, A Theory of Path Dependency in Corporate Ownership and Governance, 52 Stan. L. Rev. 127 (1999) は、ガバナンスは既存のルールと会社所有形態という「経路」に依存(path dependence)するのであって、均一化するようなものではないと主張しています。

国家間のガバナンス比較という単純化された世界での比較である(この説明文も多分に単純化しすぎであるので、ご興味のある方は是非原文を読んでください。)ため、いずれが正しいというものではないし、程度の差異という問題ではあると思います。実証的事例を確認したわけではありませんが、1980年代の日本と比較して、現在の日本企業はより株主価値、資本市場を意識しているといえると思います。何をもって株主価値を意識しているというのかはそんなに単純ではありませんが、ひょっとしたら配当性向などをみていくのがいいのかもしれません。ここでは社会常識の変化という抽象的なレベルでの話として、厳密なレベルでの検証はしませんが、感覚的に米国型の株主中心主義がより重要性を増してきたという主張は説得力があるように思います。

ただ、「株主中心主義」というのが何を意味するのか、具体的手段はどうなのかは一義的に決まるようなものではありません。米国型が株主中心主義といいながらも、日本法よりも取締役会の裁量を広く認めているように思われるのは不思議な話です。日本法になじんだものからすると、米国型はある意味パターナリスティックともいえるような感じがします。取締役会をインセンティブの付与により株主と同一の方向を向かせる代わりに、広範な裁量を認め、株主の自己決定権を否定している部分も日本法よりは多いのではないでしょうか。

経路依存性という概念は非常に重要で、他国の法制度を参考にするにしても、関連する法・経済・社会制度のすべてを取り替えるわけにはいきません。このあたりは事実上デラウェア州における敵対的買収ルールを取り込もうとした最近の動きを見ていればわかるだろうと思います。ユノカルやレブロンを導入しようとしてもディスカバリは導入できないわけであり、ある法制度・概念の導入をしようとしても実質的に同じ機能を果たすことの方が稀であるといえるでしょう。また、株主中心主義といっても短期的な株価のみを視野に入れるものではなく、また従業員・取引先・債権者等の利害関係人の利益が否定されるものではありません。ガバナンスモデルの運用面においても関係者の利害関係をどのように調整して必要があり、その具体的運用は社会・文化的な背景によっても異なってくるでしょう。例えば、日本の労働者は黙ってサービス残業するかわりに、解雇されることを黙って受け入れない(単なるたとえですので、正しいかどうかは別として)とか、法を運用・解釈する人間の文化によりプラクティスがかわるのは当然でしょう。その意味で、けんけん先生が以前指摘されたように、日本の買収防衛法制は今後独自進化を遂げるのは必然と思っています(問題はその是非です)。

この論争に終止符をうつのは案外アメリカ法自身なのかもしれません。Convergence論者の主張によれば、日米欧よりも障壁の低い州間障壁にもかかわらず、各州の会社法がさほど統一化されないことの説明が困難なように思われます。私は必ずしも賛成しませんが、米国法では各州における会社法の競争が繰り広げられ、デラウェアが競争の勝利者として君臨しているという考え方が存在します。Race to the topとかRace to the bottomとか言われるものです。この考え方だと設立準拠法を選択する取締役ないし企業側にとって有利な法制度が選択されるはずですが、様々な人に聞いたところ、必ずしもデラウェア法が取締役に有利だとか、会社にとって税制が有利だということもないようです。敵対的買収防衛などの面ではペンシルバニア州法だとユノカルなどの厳格な審査基準が存在せず、ビジネスジャッジメントルールが確保されているので経営陣にとっては有利なはずですが、ペンシルバニア州を設立準拠法とする企業はさほど多くありません。

様々な人に聞いたところ、会社法の分野において陪審ではなく、優秀な裁判官が判断することがメリットだとか、一度デラウェア州法がスタンダードとして君臨し、多くの法律家が周知していること自体がメリットなのだとか言われますが、実際のところはよくわかりません。個人的にはデラウェア州法が一時的にでもDe Facto Standardとして機能した時点で勝負は決しており、共通ルールとしてのデラウェア州法を選択するメリットを否定するだけの特殊な優位性を持つ州法がなければ州間の会社法の競争というのはあまり現実的ではないのではないかと思います。その意味で、デラウェア州法が優位にたったという「経路」に依存してアメリカ会社法は発展していくのだろうと思いますし、会社法の多様性は州政府がなくなりでもしない限り、このまま残るだろうと思っています。

ということで、日本法は日本なりのスタンスで進化していくだろうという荒っぽい理屈を述べておきました。
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by neon98 | 2006-01-31 14:10 | Corporate Governance

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