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シリーズ 日本のCorporate Governanceを考える(6)―メインバンクシステム(中)
(コメントありがとうございます。議論を最後まで続けていくことでコメントへの回答に代えたいと思います。)

1. いきなり結論

前回に引き続き、メインバンクシステムを考えていこうと思います。結論からいうと、メインバンクシステムなるものは存在しなかったという主張は経済学的に見えるもののみを優先し、または国際的に説明しやすい概念のみをとらえるという間違いをおかしているのではないかと考えています。ごく控えめにいうと、Miwaの主張は言いすぎだし、多くの企業関係者が主観的に規範だと感じて行動していたものを無視していると思います。Discussion Paperで17ページの内容なので具体的な統計数値や分析はほとんど登場しませんので、これらを他の文献で探した方が公平な判断は可能だと思いますが、今回は経済学とは異なる抽象的な観点から反論を試みたいと思います。

「主観的に規範だと感じて行動していたもの」とはレピュテーションリスクであり、金融行政への畏怖であり、Peer Pressureでもあります。こういったものは主観的な規範とでもいうべきものですので、実証的に検証できるものでもなければ、国際的に説明しやすいものでもありませんが、日本人の(控えめにいって当時の日本人の)行動原理を説明するのに欠かせないものではないかと考えているところです。今回のエントリは抽象的なかたちでしか説明できませんので、共感できる方には説得的だし、共感できない方にはアホなエントリになると思いますが、その点はご了承ください(話はそれますが、法と規範と文化みたいなわかりやすいような、わかりにくいような話を書いた本を是非読みたいと思っています。どなたか推薦書があればお願いします。)。

私の結論としては、メインバンクシステムが非効率なガバナンスシステムだった、あるいは当時はうまくいったが現在では応用できないという議論は理解できなくはないのですが、メインバンクシステムが存在しなかったという議論は直感的に受け入れがたいものがあります。Nylawyerさんは賛成票を投じてくれると思いますが、わかりやすい経済的概念で説明できるかどうかはともかくとして、少なくとも銀行員のマインドの中にはメインバンクシステムなるものはたしかに存在していたと私は(根拠もなく)確信しているところです。

さて、本論に入りましょう。MiwaはMasahiko Aokiにより提示されたメインバンクシステムなるものに異論を唱えることからスタートします。まず、Aokiにより提示されたメインバンクシステムは以下のようなものです(以下はいずれもMiwaによればということでご了解ください。)。
(1)最も有能な労働者に雇用企業特有のスキルを獲得してもらう誘引として企業は終身雇用制度を提示した。
(2)株式持合いのネットワークを通じて、日本企業は敵対的買収と資本市場の脅威を無視することができた。もし企業が破綻に陥るときは、日本企業はメインバンクに対して責任を負う。
(3)メインバンクは系列からもっとも重要な企業を選別し、そのクライアントを注意深く監視し、他の銀行の代わりにそれらの企業を監視し、問題発生時にはそれらの企業の支配権を獲得した。
2. 労働市場―終身雇用契約は存在した?

Aokiは、日本において、経営陣は労働者が企業特有のスキルに多く投資しなければならないような方法で企業を構築するのに対し、米国の労働者はより一般的な(他企業に転用可能な)スキルに投資をするとします(この日米比較はゲーム理論で説明されているようなのですが、米国の労働者の選択を正当化するゲーム理論が紹介されていないので比較論としての意味はわかりません。)。従って、企業側としては労働者の企業特有の投資(「関係特殊的投資」)をさせるインセンティブとして終身雇用を約束したということになります。また、メインバンクは関係特殊的投資を保護するために企業が危機に陥ったときには救済し、メインバンク自らが労働者を監視する役目を果たしたといいます。

これに対し、Miwaは労働者に関係特殊的投資をさせるためにはなぜ明示的な終身雇用契約を締結しないのかと疑念を持ちます。そして、企業は労働者に対して終身雇用など約束しておらず、終身雇用契約は裁判所による解雇制限法理によりもたらされたものだと主張します。彼によれば、戦前は日本の雇用は流動的であったものの、戦後は著しい経済成長のために解雇が表面にでることは少なく、1970年代のオイルショック後に解雇しようとした企業はしばしば裁判所の解雇制限法理によりその選択を阻まれたとするのが原因だということです。

労働法を多少かじったことのあるロイヤーからすると、事実はその中間のように思われます。裁判所の解雇制限法理により企業側が整理解雇に躊躇をおぼえるのは事実でしょう。長い好況により解雇をしなくてもなんとか企業がやっていけたということもあるでしょう。でも、当事者の認識レベルでは、終身雇用契約は黙示的に存在していたのだと思います。(ちなみに、労働法の解雇制限法理が景気により左右されていることは近年の不況時をみれば明らかで最近の裁判所の労働判決の傾向は明らかに変わっています。裁判所労働部の裁判官も整理解雇4要件というものの実質的に重要なのは解雇の必要性のみであるとどこかで発言しておられました。)

明示的な終身雇用をすることは企業にとってコストを伴います。懲戒解雇以外の解雇を一生しないという約束をすればモラルハザードの問題が発生するにきまっているわけですからそれは不可能でしょうし、懲戒以外の解雇事由をあらかじめ契約に盛り込んでおくというのも著しく困難だと思います(不完備契約の理論)。結局は労働組合の反発によるリスク、新規雇用の際に生じるであろうレピュテーションリスクを考え、企業側は黙示的に解雇を控え、労働者側は黙示的に解雇が制限されることを理解して関係特殊的投資を行っていったというのが実態に近いのではないでしょうか。好況が長続きしたこととあいまって、日本人の曖昧な法意識がうまく機能した事例といってもよいような気がしています。私としては、「よほどのことがない限り、終身雇用する」という曖昧な契約が存在した(少なくとも当事者は主観的にそう感じていた)のではないかと思うところです。

ちなみに客観的データとしては、(産業間で長短の差異はあるものの)国際的に日本企業における労働者の長期雇用の実態はMiwaの論文でも確認されています。日本人のリスク回避的な傾向は多くの日本人が感じているところなので、そうした観点からも説明が可能なように思います。

ただ、Aokiによれば、日本企業での労働の実態はグループワークが多く、個々の労働者のパフォーマンスが把握されにくい、それを補完するのがメインバンクによる監視効果だったとするのですが、労働者のパフォーマンスまでメインバンクが把握していたとは私には思えません。せいぜい、メインバンクがするのは(多くの場合)一部役員や経理部長を派遣する程度のことで、天下りに近い実態があったと思いますので、監視効果を持つというほどのことはないでしょう。

むしろ、パフォーマンスが把握しにくいとしてもそれは程度問題であって労働量などによって一定程度可能である、Peer Pressureにより労働者相互間の監視効果が働いていた、完全に明示的な終身雇用ではないうえ「窓際族」「出世コースからの脱落」などを回避するインセンティブは働いていた、皆で豊かになるという共通インセンティブが社会で共有されていた、勤勉な民族だったなどと検証しようのない仮説をたてる程度で、とどめておきたいような気がします。会社人間だった父が残業代ももらわずに自宅をでていく姿をみていると、労働は美徳であるという感覚って(少なくとも高度経済成長期の労働者にとっては)案外どの経済モデルよりも真実に近いような気がするのですが、どうなのでしょう?終身雇用制度のもとでも(1)中途採用マーケットが乏しい、(2)一度受けた評価を一生背負うリスクがあるわけですし、パフォーマンスを評価することの難しさというのはどこにでもあるわけですし、解雇に劣らない恐ろしい「罰」がある可能性もあるわけですから(笑)解雇の危険性が少ないから労働のインセンティブがないというのは少し短絡的かなと思います。

検証しようもないことをどの文献の裏づけも得ないで書いてしまうのは悪い癖なんですが、検証しようもないことを捨ててしまうよりは真実に近い場面もあるのではないかなどと勝手に思っているところです。なんだか長くなってきたので、急遽(中)を作成し、(下)に続くということで…。
by neon98 | 2006-02-02 01:49 | Corporate Governance
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