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「市場」が成立することのメリットとデメリット
「自分の殻」を破って友人とメトロポリタンオペラを楽しんで帰ってきたら、47thさんから内角高めの直球が投げ込まれていました^^。ペーパーやらでお忙しい中で、neon98さんに反論してみる・・・の巻と正面から反論を頂いていますので、敬意を表してこちらからもビーンボール気味に正面から打ち返すことにします(化学反応はたぶん生まれないと思いますが、お許しください^^)。

1.間接金融「市場」はどこまで成立するのか?

年率29.2%という規制は出資法5条2項に存在します。
前項の規定にかかわらず、金銭の貸付けを行う者が業として金銭の貸付けを行う場合において、年二十九・二パーセント(二月二十九日を含む一年については年二十九・二八パーセントとし、一日当たりについては〇・〇八パーセントとする。)を超える割合による利息の契約をしたときは、五年以下の懲役若しくは千万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。
借り手の保護という観点から上限金利規制が妥当なのかと考えると、一定範囲の市場がクローズされることにより融資が受けられなくなり、または闇金融に走るためにかえって借り手の保護にはならないのではないかというのが上限金利規制反対派の主要根拠と思われます。

実は前回の記事を読む際に早稲田大学消費者金融サービス研究所「上限金利規制が消費者金融市場と日本経済に与える影響」堂下浩「上限金利引き下げの影響に関する考察」は拝見させていただいたのですが、どうもしっくりときませんでした。何がしっくり来ないかというと、消費者金融市場における市場の見方という大前提になる部分が私にはしっくり来ないのです。例えば、前者の早稲田ペーパーでは、
金利は消費者金融市場における価格とみなすことができる。
としたうえで、議論を価格統制の問題点という方向性に持っていっています。信用力の乏しい顧客にはそれなりの金利をとることで金融市場が成立するのだから上限金利規制がなければ成立したであろう効用が規制により阻害されるということになるのでしょう。

私が根本的に違うなと感じる、敢えて言うならこの点を無視して議論するのはナンセンスだと思うのは、
装飾品市場を考えると価格が高いグッチやエルメスはリッチな人が買うが、消費者金融市場を考えると価格が高い高金利商品は貧しい人が買う
という点です。金銭に個性はありませんから金融商品として設定できる個性は限定されています。無担保かつ審査を厳格にせずに迅速に貸し出しをする市場においては、貸し手の調達金利を無視すれば、ほぼ借り手の信用力によって商品の価格(=金利)が決まります(マクロ的要因はこの議論では無視してよいでしょう。)。つまりはいい商品を高く売るのではなく、同じ商品を貧しい人に高く売るわけです。

一定の金利水準を想定しましょう。論者によっては20%であり、29.2%であり、40.004%であり、トイチ(年365%)である人もいるのかもしれません。本来はここが政策論で一番重要な箇所なんですが、上限金利水準としてどこが妥当なのかという議論は能力の限界ということでさておきます。期待デフォルト率に応じて価格(=金利)が変動するのは当然だし、そうあるべきなのですが、市場におけるデフォルト率がどんどん上昇した場合に成立する市場はもはや「賭博」に変わらなくなります。99%がデフォルトする金融市場は「宝くじ」です。「宝くじ」は集金と分配のみですから確率論で商売が成立しえますが、間接金融市場における「宝くじ」は全ての「くじ」が外れる可能性もあるわけで、ある一定の水準を越えると市場が存在しなくなるのが必然でしょう。そこまで行かなくても例えば50%がデフォルトする以上はほぼ必然的に多くの社会的害悪を発生させます。返済することが期待できない債務者から返済を期待できるようにするために必然的に発生する社会的害悪です。

年率40%のローン市場を考えてみましょう。この市場を閉鎖したときに発生する「被害者」って誰なんでしょう?この市場で上限金利規制がなければ融資を受けられ、かつ返済が可能であったであろう債務者?といわれると私の中では???が並んでしまいます。理論的には存在しえますし、現実にはごく少数「被害者」が存在するのかもしれませんが、この市場を成立させるための社会的損失との比較が必要でしょう。歴史的に高利貸しが公序良俗違反などとの関係で問題になってきたのは、高利金融市場が成立するためにはほぼ必然的に存在する社会的害悪があるからであり、先人の知恵なるものはそれなりに尊重すべきような気がします。

たぶん、私は「な」さんの以下の意見に近いんでしょうね。
>「最後の貸し手」が期待しているものが将来キャッシュフローであれば、その前の貸し手が期待しているものの本質も将来キャッシュフローでしかないんじゃないでしょうか?

将来CFというより、それを包括した「返済原資」という捉え方をすべきではないでしょうか?
一般に、多重債務者の借入先は、カードキャッシング→サラ金→街金ないしヤミ金という経緯を辿りますが、それぞれが対象としている返済原資には差があるのではないかと思います。

例えば、
カード、サラ金:個人資産、現状の個人将来CF、同業ないし下位貸付機関からの借り換え
ヤミ金:上記+親族友人からの強制借入れ+転職強制による個人CF増加分+その他各種強制違法行為からのCF

貸し手は下流になるほど脱法・違法能力にもとづく強制力を持ちます。それによるキャッシュ創出を上流の貸し手が見込んでいるのなら、借り換えの暗黙的推奨は合理的な行動かと。そして、下流の貸し手はあの手この手で借り手のケツの毛まで抜きつつ、ババ抜きによる勝ち抜けを目指す訳です。

貸し手は多重債務者(予備群)に対し、ゴーイング・コンサーンなぞハナから期待していない、というのはそういう意味です。
こういうビジネスモデルでないと成立しえない領域が必然的に発生するであろうという意味で、金利の上限を設定するのと家賃の上限を設定するとでは違うと考えています。そういうわけで、私は家賃市場に上限を設定するのはナンセンスだと思ってますが、消費者金融市場の金利を家賃と同視するのもまたナンセンスと考えています。有効需要があるのに供給がこたえないという議論に対しては、こたえない方がよい「需要」があるのではないかという答えになります。

2.闇金融が増える?

ある一定の市場をクローズした場合に、資金需要のある潜在的顧客層の一部は法的整理に向かうでしょうし、「闇金融」に向かうことでしょう。その意味で「闇金融」による被害者が増えるというのはそのとおりかもしれません。でも、それは「闇金融」の定義によりませんか?

私の議論は、ある一定の金利水準を越えると必然的に家族や職場に対する取立てなどの社会的害悪を生み出すというものです。商売として成立するためには合法化しようが、違法としようが必然的に社会的害悪は発生します。逆に(抽象論で)いうと社会的害悪が著しく増大する限界ポイントに上限金利を設定すべきです。

合法化すれば「闇金融」は定義上なくなります。それでも「闇金融」とかつて呼ばれていた業者たちは同様の方法で大手をふって貸付を行うでしょう。上限金利の設定により闇金融が増えたというのは、違法な領域が増えた以上、定義上当然のことだと思います。全て摘発するのが大変だというのはおっしゃるとおりですが、取立手法の違反を根拠に摘発する方が金利違反を根拠に摘発するよりも大変だともいえるわけです。闇金融が増えるという議論もなんだかあと思うのはそのあたりでして、闇金融と呼ばれる業態に対して戦える武器は少しでも多い方がマシだと思っているところです。

3. 立ち位置

立ち位置という問題は、まずはどこまでパターナリスティックになるのかということのような気がします。私の想定する経済的に不合理な最後の貸し手というは親族ないし親しい友人であり、カードローン⇒サラ金⇒街金・闇金融というルートをたどる際に借主およびその周囲の人々に発生する損害を防止する必要があることは言うまでもありません。また、目の前の資金繰りに必死になり、追い込みをされている方々に合理的な判断を求めるのは間違っているように思います。市場原理を貫徹するために所有権制度とEnforcementを与えるのも法の役割ですが、当事者の合理的な意思決定が期待できない場合に一定の後見的役割を担うのもまた法の役割ではあります。たぶんここまでは47thさんとの間であまり意見の違いはないのでしょう。

もう一つ立ち位置の問題があるとすれば、法の役割に対する期待という部分であり、たぶん47thさんと結論が違うのはこの点だろうと思うのです。47thさんからすると、一定の場合に合理的な判断ができない債務者が多く存在することにはあまり異論はないし、取立により社会的害悪が発生することもむろん異論がないところでしょうけれど、手段として上限金利の規制という法を制定したとしてもEnforcementにコストがかかりすぎて闇金融を生じさせるだけであり経済的には意味がないし、付随して有効需要にこたえられないから新たな被害者をうむおそれが大きいということになるのだろうと思います。

これに対して、私は取立手法の規制よりも上限金利の規制をする方が闇金融の取り締まりが容易であり、市場がクローズすることにより生じる「被害者」層は本来借りてはいけない層にすぎないのではないかと考えているわけです。私の立ち位置からすると、法の果たしうる役割に限界があり、規制をしない方がマシな場合もあることは認めつつも、多重債務の整理の現場でみたものの存在も認め、もう少し規制が果たしうる役割というものに挑戦してみたいような気がします。要するに工夫をすれば規制をしないよりもよりよい結果が得られるのではないかと思うというだけのことなんですが。

前回のエントリで少し反省したのは、法と経済という概念を対立的に書いたり、法学者と経済学者とを対立的に考えたりすることがよくなされているわけですが、規制目的・手段を考慮するのはまさに法と経済と双方からの分析が必要なところであり、こういう対立構造みたいな部分に意味がないのに、少し対立的に書いてしまった点でしょうか。

以上、ざっと乱暴に私の立ち位置を考えてみました。あまり化学反応がなくてすみません。ぼちぼちやるべきことをやらないと周囲の人に怒られるので今日はこの辺で^^。
by neon98 | 2006-04-22 06:35 | LEGAL(General)
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